ブレイドロンド 剣の伝承 〜Lost Dream〜

No.81 偽典斬撃剣(ディーヴァ)

もうパパの期待を裏切らないから、お願いだから見捨てないで。

などという言葉をディーヴァは吐かず、誰にも愛されないかわいそうなわたしは、あの娘は、誰だったかはもういない。過去との連続は断ち切った。脳裏にびっしりと張り付くセイレーンたちはみな沈黙している。理想的な偶像を思い描くのが一番上手かった彼女自身が今や偶像だ。人々の心を奪うたたずまい、新世界を制御する剣、輝かしい使命。超越した力。救いに満ちた世界。これから楽しいことしかない。何も心配しない。光しか見えない。わたしは選ばれたのだから。

No.82 碧光剣(リスリーナ)

行きずりの怪我人を馬車で送るのに路銀を全部やってしまい、リスリーナは困り果てていた。夜露を凌ごうと民家の納屋を物色しながら、行動が軽率だったかと振り返る。人間たちにしてみれば、彼女ら妖精の行動は自他の別が足りないらしい。人里で生きるなら自分は自分と割り切らなければならないのだろう。しかしどうにも勘所が掴めない。

光が彼女の意識に割り込んだ。《路引きの刃》から星のように沸き立つ燐光が東へと流れている。その先の街路では身なりの良い婦人が歩いており、何やら価値のありそうな包みを大事に抱えていた。

リスリーナはそれを引ったくると風の速さで隣の区画へと走る。

布を開いたら赤子が顔を覗かせたのでジャックと名付け、近くに子宝に恵まれぬ夫婦がいたのを思い出す。

No.83 片腹打ちの杭(エリン&ロディ)

エリンも例外ではなく、ケルドゥの狩人は「夢魔に身を預けない眠り」と呼ばれる技を身につけている。目を開けたまま意識だけを絶して何日も力を節約し、獲物を認めるやたちまち集中を取り戻すのだ。銀嶺の戦女神はこの技術を極めており、未来の厄災を殺すために寿命をも越えてこの地の風に眠っていると云う。エリンの傍らには賢しき狼、彼女はかれに全幅の信頼を置いている。自分が恥ずべき行いに一度でも手を染めたなら、必ずやこの身を喰い殺してくれるだろう。

No.84 羽ばたきの刃(フリージア)

大人たちが忘れた夢を再利用して架けられた橋を渡れば、フリージアの待つ地獄はすぐそこだ。振り返ってはいけない。幻想を信じる者たちの憎しみを買う。眼下に流れるのは銀河。空に浮かぶのは成就し損ねた想いの残骸。人が真実に愛想を尽かせたとき、現実を向き合う価値なしと断じたとき、蝶のナイフで自害を果たせればこの辺獄への扉は開かれる。ここでは現実は一つではない。だから争いは起きない。他者すべてから重んじられる主役の座が一人ずつ個別に与えられ、それぞれがフリージアと運命的な再会を果たす。彼女を命がけで愛した少年を模した魂たちが、無数に並んだ玻璃の瓶のなかに揺らめいている。

No.85 金剛剣(ヴェロニカ)

フェルニーシャ。ウェラネーセ。ヴェレニーチェ。ヴェロニカ。

国々の栄枯盛衰を越えて長く生きるというのは、変わっていく名前と付き合うということだ。改名したつもりがなくても、時代が景色を更新し続けるのと並走して発音はゆっくりと変じてゆく。宇宙ひとつをすっぽり内蔵して星々ほどの瞬きを一粒でこなすダイヤモンドに、最初はふたつのことばを封じ込めた。彼女がいつか死ぬ旨と、彼女の心が変化してゆく旨である。それで不死と不変を得た。人間たちへの遠大なる復讐を遂げるために、そして、悠久の中で動機を風化させないためにである。

感傷は過去だけでいい。

金剛の剣で人々を守り続けた修羅の日々は、思えばまどろむような蜜月だった。菩提樹の丘に来なかった想い人を蹂躙したのは、あろうことかヴェロニカが守った人々だ。竜王の祠で天使と悪魔に出会い、彼女らとの契約はヴェロニカの絶望と共にダイヤモンドに刻まれた。薔薇の庭にて交わされた人間と魔法使いの講和は何よりも許せず、冷えた怒りを伏せたまま彼女はそれを利用した。知識と記憶は増えていく一方だ。決して失われることがない。彼女の心は代謝をしない。広大な絶空にきらきらと思い出が舞い散るなかで、誰もいない景色に肩を抱くなかで、ヴェロニカはたった一人である。

No.86 怒濤槍(レモニカ)

羊に満ちた羊の島を、羊にまたがってレモニカは駆ける。この島の羊は完全家畜である。食、服や骨器をもたらす物資、交通手段、機動力ないし突進力としての武力、傍らのぬくもり、人間が生きるためのすべてをもたらしてくれる。レモニカ以前の島の社会は惨憺たるもので、この神の獣たちを養う土地を巡って百の集落が対立を繰り返していた。騎羊術と導羊術の才に恵まれたレモニカは、あちこちの柵の中から羊たちを引き抜いてしまう。そしてこれは窃盗ではなく羊たちの自由意志によるものだと主張する。彼女は羊と話すことができ、争いに飽いたかれらは自己の運命の決定権を行使してレモニカの元に集ったというのだ。牧場主たちにとって到底認められる主張ではなかったのだが、牧羊犬を振り切ってレモニカに身を寄せる羊が続出するのだから敵わない。やがては誰もレモニカを無視できなくなり、レモニカ主導のもと集落間の調停が行われるようになる。

 

彼女の主張には語弊がある。純粋無垢にして愚鈍なるレモニカの頭蓋は、念話で形成された羊たちの集合人格に占拠されていたのだ。ドノリアルドリー(夢見人不在の現なる夢)と呼ばれる麗しきその孤島は天空高く浮遊してクオランテ大陸を横断する。ゆえに三百万鴉の観測域をも越えて世界から隔絶する、牧羊の楽園である。

No.87 秘蹟剣(ミルドレッド)

お嬢さん、と呼ばれてもミルドレッドは訂正しない。過ちに気づいていないのは五十か六十かという所の若造だったが、いちいち訂正するのも無粋だ。初老の男は肩口から黒い煙を発していた。ミルドレッドが斬ったからだ。悪魔は彼女の敵だった。

「聖剣? 吸血鬼が? お前は教会の手先なのか」

「言い草は気に入りませんがその通り。真に尊いもののしもべです」

悪魔たちの現象否認防御を紙のように破る聖剣フェルヴェール。それは吸血鬼のからだも灰に帰す危険物だったが、右手のガントレットが祝福を遮断せしめていた。悪魔は大きな黒鳥のような正体を見せて飛翔する。ミルドレッドは川に遮られるまで執拗に追撃した。彼女は吸血鬼でありながら教会に仕えている。美しいからだ。荘厳な美を芸術家たちに紡がせた営みに心から感謝をしている。かつては理解のない教皇に拒絶されたものだが、ハイドレーヌの代になって遂に帰依を認められたのだ。

No.88 ぶっつけ鉈(カシミア)

カシミアの暴乱は夜明けまで止まらない。身寄りのない少女を格調高き貞淑な婦女へと叩き上げることで有名なノーゼリア修道院。シスターたちによる厳粛な支配教育がカシミアにだけは通じないのは、彼女がこの修道院の偽善を看破していたからではなかった。ただ従いたくないのだ。服従が出来ない。精神的圧力で反抗心を奪おうとする侮辱的な試みには断固として反逆する。ある日には院長を袋詰めにして焼却炉に放り込んだ。傲然と理不尽を跳ね除ける彼女はほかの少女たちの感心を招いたが、社交の通じない相手と知れてからはすぐに孤立する。反省はしないが傷ついた。恨んだ。誰も許せない。

 

カシミアが院から脱走し、去り際に院に火をつけたのは膨れた水滴がやがて落ちるのと同じくらいに自然なことだった。火事は悲惨だったがみな彼女の失踪に安堵し、あえて追いかけようとする者も現れない。カシミアは修道院を取り囲む深い林の中へ。

 

行き先も見えないままさまよっていると、彼女の後を歩く一つの小さな姿があった。いくら追い払ってもついてくる、変わり者の少女。文句を言っても言い返さず、小突いても泣きわめかない。カシミアは遂に根負けし、彼女がそばにいることを許す。幻かと思ったが幻だった。彼女は誰とも折り合えない。

No.89 赤熱剣(スカーレット)

誇り高き闘争と狩猟の民は組織と農耕の民に滅ぼされ、スカーレットは故郷を失い首輪で繋がれる。

戦利品となった女の末路は過保護な親からよくよく聞かされていた。だから覚悟は決めていたのだが、少し抵抗して四、五人ほど殺したら手のつけられない怪物扱いをされてスカーレットは拍子抜けする。

組織の民、一人一人は虫けらじゃないか。これに夜伽は無理だということで闘技場に放り込まれたのだが、会うやつ会うやつがまあ弱い。組織の民が作る武器は素晴らしい。石槍で頑張っていたスカーレットの国が敗北するのも頷ける。しかし用いる人間たちがこのザマでは武器たちが可哀想だ。新たな戦場でくつろいでいるとたちまち慕ってくる者が増えた。結局自分は王の血筋ということなのだろう。闘技場の支配人の首をもいだら奴隷たちを束ねて反乱だ。また戦える。組織の民も喜んでくれると思う。もしかしたら、これを期待して闘技場に入れてくれたのかも知れない。

No.90 縛鎖豪腕(フスカス)

牛人へと変化したフスカスにとっての最大の痛手は、婦人方を色めかせた美貌よりもむしろ指の細さである。ペンが持てなくなった。彼が最も頼りにしていた武器は経理であったのに。リジェカが取り仕切っていた事業は後ろ暗い収支が多く、税務署の追求をかわす巧みな偽装が不可欠であった。幾通りにも記録して頻繁に入れ替え、魔術的なからくりで破綻を紛れさせた帳簿。余人に代筆を頼めるようなものではない。かと言って忙しいリジェカの手を煩わせる訳にもいかない。(リジェカは細目管理が不得手でもあった。)リジェカは特注で彼のための巨大なペンと紙を用意してくれた。隠滅すべき紙も山のように積み上がるが、手早く燃やすのはリジェカの得意とする所である。

No.91 虹の彼方へ(ナタリー)

ケイオスラーヴァの絶姫ナタリーは古代クオラトス帝国史を紐解き、その末路に国家の完成を見た。すなわち永遠の生存などという愚劣極まる望みを放棄して、絢爛の果てに自壊を遂げることである。それならば半分はすでに約束されている。ケイオスラーヴァの民はみな知っているのだ。この大地は貪婪にして暴虐なる巨人の手のひらの上にあり、それは大地を支えるためではなく、万障差し置いて恐るべきかれの欲深き大口に放り込まれるためであることを。人が生きるのは、いじらしくも主観的に引き伸ばされた巨人にとってのその刹那。森羅万象の開闢から終焉に至るまでの歴史は巨人にいくばくか芳香の楽しみを与えるものに過ぎない。あらゆる動物はこの事実を生得的に理解していながらも、記憶の辺獄に封じ込めることで心を守っている。にもかかわらずこの絶望を片時も忘れず、かつ正気のまま生活できるのがケイオスラーヴァの民の特性だ。ゆえに最も恐怖を知る者となり、かれらが紡ぐ言葉と文字は余さず巨人への畏怖と諦念で彩られている。衣装で表現するなら全世界要素を象徴する七色のはためきと、それを踏みにじるようにはびこる黒。

弑逆色のドレスに身を包み、廃絶を抱きしめるナタリーは城の尖塔で、世界の先端で、今まさに終焉がこちらを飲み込まんとするのを見上げている。

No.92 天聖に弓引く者なく(シルフィ)

0は何乗しても0である。シルフィはその理のちょうど隣にいる。比喩ではない。イデアの世界は均質にして無垢なキャンバスではなく生々しさの限りを尽くして次元を埋めるひとつながりの生体である。人間が発見し得る叡智は例外なくその生体の襞に人智を越えた配列で格納されており、たとえば球体地図作成術は命令型魔導記法と手を結び、君主論などはフスカスの撹乱素数定理にぐるりと取り囲まれたりしている。シルフィは姿の定まった意志の主体ではなく、真の意味で概念なのだ。ゆえに人に見えるのは人が見ているからであり、美しい天使の御姿は願望の刺激で活性化したものである。

 

にもかかわらず彼女はヴェロニカの歪んだ心を愛した。悪魔によって既に不死の術を得ていたヴェロニカに、天使はひとつの鍵を授けた。その鍵は認識の蓋を開き、世界の秘密の閲覧を可能にする。その秘密は深淵にして忌まわしきもので、竜が覗いた時にはその心を一夜で壊した。ヴェロニカの比類なき魔法力とカリスマの源はこれだ。

彼女が人界を束ねた暁には成し得るだろう……あらゆる尊厳を殺して生命だけを守り続ける、これがシルフィの救済である。

No.93 湧き出づるフーガ(シフルヴァティ)

泉のほとりに腰掛けるシフルヴァティを前に、男は戸惑う。自分は愛する者の裏切りに絶望して首をくくったのではなかったか。高所の岩棚であった。丘陵がはるか遠くまで、雲とも霧とも知れぬ曖昧さの中に波打っている。

「いいえ、現世です。ここは天国ではありません」

 

シフルヴァティが言った。男の心は一度壊れていた。放浪のなかで回復したものの、その間の記憶はないようだ。

「悟りや霊験ならばここにはありません。救いも与えられません。しかし、恵みならば」

女神の膝上の桃がひとつ、男に差し出される。しなやかな腕に実るようにして。うやうやしく受け取った男が尋ねる、あなたは神仙のたぐいのようにしか見えない。それが霊験でないなら何を言うのだろう。シフルヴァティは答えた。

「世界が広ければままあることです。物理現象と精神現象の積み重ねがもたらす帰結を、あなたがたが奇跡と呼ぶのは滑稽に思えます」

No.94 迸るジルベスタ(ヴィルジニー)

「ほんと迷惑。なんで私なのっておもう」

 

とヴィルジニーは同居人であるアニフィに愚痴をこぼす。フットボールでチームを優勝へと導き、学園の期待と羨望を一身に集めるフェルナンデス。学園内の見えない階級に唯一束縛されない彼は、純粋なるより好みでヴィルジニーへの求愛を繰り返す。取り巻きを連れて学舎の廊下を練り歩くレナス。ヴィルジニーは耳を掴まれ、フェルナンデスとの深刻な不釣り合いに同意させられた。婚期の遅れを若い娘への叱責で埋め合わせていると噂の学寮長エリーゼ。折に触れてヴィルジニーを指導室に呼びつけ、男よりも素晴らしいものを教えようとする試みが真相を物語った。そのすべてが煩わしいことをヴィルジニーが噛み締めていると、背後から抱きしめられた。アニフィだ。

「ヴィルジニーは私が守る。あいつらのこと許せる? 許せないよね。絶対に許せるわけない。自分たちがどれだけ薄汚いかも知らない害獣のくせに」

知った口を聞くな、と絶叫してヴィルジニーはアニフィを切り刻んだ。慣れない運動のため息切れと紅潮に見舞われながら吐き捨てる。

「ヴィルジニーのことを一番好きなのは私なんだから」

No.95 夢見るソルフェージュ(ネスティコア)

名称:酔生疎通/ネスティコア

概説:実界と夢界を結び選択的開閉を可能とする門、そしてまたは両界要素の混成率の制御法。

目的:来る聖戦に備えて敵方が想定し得ない地形的有利ないし戦術を得る事。

手段:刻印付き剣奴を人工イデアの想像力にて生成した門より一定数投入し反応を観察。

結果:剣奴の精神防壁の希薄化。希薄化の程度に相関して支配が容易になる一方で知能も低下した。しかし実験は始祖の探知網に補足される。始祖は特に精神影響の少なかった個体(三百八)に干渉し、主への忠誠を殺意で上書きすることに成功。実験は中止。

対処:一時撤退。始祖の探知に脅かされぬ新たな実験場として竜想、星河、庭園、剣山、劇団、聖域を検討。廃人化した剣度は破棄。例外的に知能が低下しないまま恭順を示した二個体があり、片方(二百五十七)には残った剣奴の頭に据えて特殊部隊として再編成し、他方(二百五十六)は三百八の対処に当たらせる。二百五十六と二百五十七は互いに反目していた。

補足:人工イデアは密かに並走させていた別の夢により、伝承律を満たして明晰な自我を得ていた。かかる夢は三千年続いた王国で、三百八が王、彼女が王妃として君臨し蜜月の日々を送るもの。問いただすと彼女は赤面し狼狽。秘密の墨守を条件に三百八への敵対を誓わせる。愛と敵対が葛藤を引き起こさない彼女の人格構造から、裏切りの懸念はないと判断した。

No.96 下令するアリア(リジェカ)

自由恋愛が幻想であることはリジェカも心得ていた。政略結婚は単なる私欲の増大ではない。その側面もあるが、背後にはポリコロニア家に仕える使用人たちや関係各社、さらにその家族の生活がある。それを思えば、幼少期から傍らにいたフスカスへの恋情は考慮にも値しないと納得していた。フスカスの心を縛る演技に流用するのみである。父からの薫陶を忠実に内面化する一方で、フスカスの前では報われぬ愛に涙を見せる。後者の本心を前者の本心のための手段と位置づけることに葛藤はなかった。

ところがある日番狂わせが起きる。母国の敗戦で航路が失われ、貿易に依存していたポリコロニア家の没落が始まったのだ。利用価値のないものは即座に切り捨てろという自身の教えを、父はポリコロニア家自体には適用することができなかった。しかし彼女は違う。屋敷が潰れても身は残る。フスカスを一心同体の相棒と定め、斜陽の商家に自ら鉄槌を下す。生き甲斐は保険に複数もつべきというのが、この件がもたらしたリジェカにとっての教訓である。

No.97 泥濘のヘリオドール(ララフィーナ)

劇団が崩壊してからのララフィーナは悲惨であった。シェオルの脚本が紡いだ喝采に始まり詩的静寂に終わる夢の日々を忘れることができないまま、彼女は世俗に放り出されてしまう。歌手を志すが評判は散々で、酒場を転々としていた折に成金の男に声をかけられる。男はララフィーナの歌唱を大げさに褒めそやす。彼女は男の下心に気づかずに自分を安く売った。屋敷に向かう馬車の中で男は欲望を剥き出して来た。酒瓶で殴るとかれは気絶し、悶着のはずみで開いた鞄から宝石がざらざらと流れ出す。それらがぬかるみに落ちていったのを見ると、彼女は躊躇なく尊厳に別れを告げる。

No.98 障壁編みのスピネル(ノワール)

鴉の魔女ノワールは復活したファゴラントスに滅ぼされたと言われているが、真相は異なる。ファゴラントスの暴威を前に、持ち前の情報力によって世界のどこにも逃げ場がないと悟った彼女は完全結界に引きこもった。七十七羽の鴉によって支えられるこの異空間は、外界の影響を完全に遮断して彼女を巨竜の脅威から守る。ノワールは蓄えた叡智を材料に夢想に耽る。ほとぼりが覚めるであろう百年後に結界を解くことにした。

このあと誰にもその出現を予測できなかった《ザ・テンペスト》が巨竜を解決してしまうのだが、その情報もまた、結界を透過することができない。

No.99 錆這いのモルガナイト(アガサ)

アガサの人生は呪われた右手と根気強く付き合うことに終始していた。この触れたものをたちまち劣化させてしまう右手は、聞く所によれば彼女の母が悪魔と欲深な契約を交わして錬成されたものらしい。真偽の定かな話ではない。本人は否定する。しかし万一本当なら許せるものではないので寝ている母の口には酸化した油をしこたま流し込み、生死も確かめずに故郷を逃げ去った。その折にちょうど里に攻め込もうとしていた人界の王国軍と出くわす。魔法使いと見て追い立てられたが、自慢の右手で全軍の武装を劣化させる。彼女の酸化の呪力は強力で、数歩の距離が空いても連鎖的に伝導した。

No.100 干渉拒絶のジェイド(ダフィネ)

謀略渦巻く宮中で見舞われた七度の裏切りは、ダフィネの心を閉ざすのに十分であった。彼女を陥れた悪党どもへの報復を代行し、忌まわしいクーデターの夜に身を挺してダフィネを救ってくれた麗しき隣国の王子も、ダフィネは手放しでは信じることが出来ない。王子の愛を受け入れたいと思う。しかしすべてはダフィネの立場を利用するために仕込んだ茶番かも知れない。もう賭けはしたくない。そこで判断を運命に委ねることにした。王子に試練を課そうと思い立ち、ダフィネは家来に申し付けて宝物庫の扉から呪物を持ち出す。

凶鳥の瞳。北方の魔法使いから召し上げたという秘石。この石を使って自分を中心に禍を呼び招く。これは茶番にはならない本物の危険となる。それでも王子が自分を救い出してくれた暁には、彼を信じることにしよう。

 

溜めに溜め込んだ負の情念を込めながら彼女が呪文を唱えると、雪だるま式に増大する茨が国まるごとを飲み込んだ。王子は果敢にこれに挑み、錆びた剣が折れて進退窮まるまで、王女に至る道のりの、実に十分の三ほどをも突き進んだ。